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挨拶

会長就任にあたって

愛知県小児科医会会長 江口秀史

2024年(令和6年)5月26日付で、津村治男前会長の後を引き継ぎ愛知県小児科医会の会長に就任いたしました江口秀史(えぐちひでし)と申します。65年の歴史を誇る本会の良き伝統を引き継ぎ、さらに時代に即した変革と活性化を図るべく微力ながら会の発展のために尽力したいと思っております。

愛知県小児科医会は、県内で小児医療に関わる医師の組織で、会員数は2024年(令和6年)3月末の時点で360名になります。その目指すものは本会会則第3条にありますとおり、「愛知県における小児の保健・医療の充実を図るとともに、会員相互の交流及び連携を促進し、もって小児の健康及び健全な成育に寄与すること」です。社会の情勢は常に変化しており、それに伴い子どもの罹る病気も子どもたちやその保護者たちを悩ませる環境も常に変化しています。本会の目的を実現するために私たち小児科医には知識や手技の刷新が常に求められます。愛知県小児科医会では会員向けに年間6回、1回につき2演題ずつの勉強会や臨床懇談会を開催し、保護者向けの講演会と養護教諭や保育士の方々のための講演会をそれぞれ年に1回ずつ開催しています。また、2023年6月には津村治男前会長のもとで第34回日本小児科医会総会フォーラムを主催し、参加された全国の小児科医から大変な好評をいただきました。

さて、いまさら申し上げるまでもありませんが、少子化はすぐそこに迫る日本の危機です。外国人を含む日本の総人口は2023年10月1日現在約1億2,435万人で、前の年より60万人近く減り13年連続で減少しました。去年一年で鳥取県全体を超える数の人口が減っています。全国の15歳未満の人口はおよそ1,417万人で、年齢区分別割合は11.4%と過去最低となり、その割合はすべての都道府県で前の年より低下しています。民間の有識者などでつくる「人口戦略会議」が今年公表した推計では、2050年には全国自治体の40%に相当する744の自治体で20~39歳の女性が半減し、将来的に消滅する可能性があるとされています。背筋が寒くなるような話ですが、子ども人口が減少しても子育てに携わる方々が抱く不安には変わりがありません。それどころか多くの女性が一生に一人の子どもしか産み育てない時代なのですから、小児医療はこれまで以上にそうした不安にどう応えていけばよいか問われていると思います。これから小児科医が取り組むべきと思ういくつかの問題を以下に上げてみました。

まず乳幼児健診です。令和5年末に子ども家庭庁は、生後1か月健診と5歳児健診に財政的処置を行うことを発表しましたが、全国どこの自治体の母子手帳にも、6~7か月健診、1歳健診のページもあります。しかしながら、実際に行われているのは母子保健法で義務とされている1歳6か月児健診と3歳児健診、および地方交付税処置がされている3~4か月健診と9~11か月健診だけで、愛知県内のほとんどの乳幼児は6~7か月健診や1歳健診は受けておらず母子手帳は空白のままです。これらのページが全て埋まるようなきめ細かい切れ目のない健診体制を望みます。

次に予防接種についてです。日本に残るワクチンギャップで第一に挙げられるのはおたふくかぜです。おたふくかぜの定期接種を行っていないのは先進国では日本くらいで、愛知県内のほとんどの自治体では1回目接種に対してのみ一部助成が行われています。一刻も早いおたふくかぜワクチンの2回接種の全額助成を望みます。一方、インフルエンザワクチン接種では65歳以上の高齢者に費用助成がされていますが、罹患率も高く重症化もしやすい乳幼児への助成は自治体ごとに不定期に散発的に行われているのみです。10歳未満児またはせめて未就学児へのインフルエンザワクチン接種に継続的な費用助成を望みます。

医療の進歩によって、早産児、先天性心疾患、悪性疾患など、かつては新生児や乳幼児の生命に関わるような病も治療できるようになりました。しかし一方で病気が完全に治癒することがなく結果的にいろいろな障がいを持って生きていくケースも少なくありません。特に人工呼吸器を装着している児の家庭では母親が24時間付きっきりの介護をしています。高齢者にはホームヘルパーなど様々な支援体制がありますが、医療的ケア児にはこうした手厚い支援は未整備のままです。こうした子どもたちをどのように支援していくのかもこれからの小児医療のみならず社会全体の大きな課題だと思います。

2018年12月に成育基本法が成立しました。この法律は今までそれぞれに独立して行われてきた小児に対する医療政策を、総論的にまとめ一本化して対応できるようにと考えられた法律です。しかしながら法律が制定施行されたからと言って問題が解決していくわけではありません。この法律の理念が真に生かされるように、実地に即した各論の充実を図ってゆくことが必要です。

私は9歳の時、居間に置かれたばかりのカラーテレビで東京オリンピックを見ました。中学3年生の時には大阪万博に行き、輝く未来に胸をときめかせました。30歳台になると「Japan as number one」という、あり得ないと鼻で笑っていた夢のような話が現実になりました。最近は日々の生活の中でも「縮む日本」を実感させられますが、これからも長くこの国で生きていかなければならない子どもたちのために、今私たちは何をすべきなのか真剣に考えなければなりません。

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